というのも先日、情熱大陸で俳優の池松壮亮が特集されていたからである。
彼は、おとなしそうな外見に秘められた気骨ある演技が印象的な俳優だ。
特別詳しいわけではないのだが、暴力的な表現をさせたら若手髄一なのではないかと勝手に思っている。
PVに出演していたからであろうか、番組のBGMにはクリープハイプが流れていた。また、演技の練習中には、彼がクリープハイプのバンドTシャツを着ている姿も見られた。
さて、クリープハイプ。
”ボーカルの声が特徴的に高く、聴く人を選ぶ…”などとよく言われているが(実際、電車に乗っていて「クリープハイプのボーカルの声が…」と話しているグループに居合わせたことがある)、自分としては、一聴して抵抗なく受け入れられた。
上記のように声が特徴的だなどと言われると聴いてみたくなるものであり、アルバム「吹き零れる程のI、哀、愛」を手にとってみたところ、冒頭の「ラブホテル」があまりにもさわやかでキャッチーであったため、すぐにのめりこんでしまったのだ。
ボーカルの癖のある声とは裏腹に、曲調は全体的にポップでキャッチーで聴きやすく、良曲が多い。特に、アルバム冒頭の「ラブホテル」や、アネッサのCMに使用された「憂、燦々」などは、非常にさわやかな良曲である。
しかし、一筋縄ではいかない彼ら。
ポップでキャッチーな外見に包まれていながら、歌詞の内容が卑屈であったり、性的なものに対して開けっぴろげであったり、中身はなんだかドロドロしている。見た目明るくても、健全で真昼間な明るさとは違うのですね(「マルコ」みたいに平和な曲もあるので、全てがそうとは言わないけれど)。
憂、燦々/クリープハイプ
見た目は鮮やかで明るいのに、中身は黒く混沌としている。
表面上の明るさはその内にある黒さを過度に際立たせ、グロテスクな印象すら抱かせる。
うまく表現できないが、泣きながら笑っているようなイメージである。
そんなバンドの世界観は「憂、燦々」といった言葉がうまく表現している。
色々と考えていて、Passion Pitに通じるところがあるな…などと思った。彼らは一言で言うと”明るい欝バンド”で、曲はキラキラしているのに歌詞はダーク(かつ生々しい)だったりするしており、その背景を知りながら聴いていると何とも辛い思いを感じさせる。
以前読んだ小説:ドグラ・マグラ(夢野久作・著)には、グロテスクな遺体を色鮮やかに非常に精緻に描写する場面があったが、Passion Pitにもこれと通じるものを感じる。
クリープハイプの明るさもまた然り。
ラブホテル/クリープハイプ
ストレートに正統派なバンドよりも、見た目と中身がチグハグだったり、どこかしら癖のあるバンドの方が意外と印象に残ったりするものだなあ。
ちなみに「吹き零れる程のI、哀、愛」でいうと、一番のお気に入りは2曲目「あ」である(曲名が短すぎて、会話に持ち出す際に困ってしまう)。
出だしのメロディは”ハードめのロック”といった感じであるが、サビに入る手前「あ、そういえば思い出した…」の部分で唐突に、開放的な、哀愁を感じさせるメロディが流れるところがたまらなく好きなのである。
出だしのメロディは”ハードめのロック”といった感じであるが、サビに入る手前「あ、そういえば思い出した…」の部分で唐突に、開放的な、哀愁を感じさせるメロディが流れるところがたまらなく好きなのである。