2013/03/29

バンドの一つの転機 Comedown Machine/The Strokes

Comedown Machine(輸入盤)を購入した。

国内盤には、ボーナストラックとして#12:Fast Animalsが収録されていたが、この曲は#7:Slow Animalsのテンポを早くしたものである(アルバムに収録されなかった別バージョンだろうか?)。
収録されたテンポの遅い曲がSlow Animalsでテンポの早い曲がFast  Animalsとは何とも単純であるが、この1曲に価格差ほどの価値が見出せず、輸入盤を購入。
ちなみにFast Animalsは現時点で、iTunesストアでも販売されていない。

細かい点ではあるが、アルバムジャケットに記されたアルバムの長さである39minutes 55secondsが、国内盤ではボーナストラック分長く43minutes 44secondsと記されている。
一般的なアルバムジャケットというものが、音楽作品の表紙として、その作品自体に決して小さくない影響を与えるものであるのに対して、Comedown Machineのジャケットはあくまでパッケージなのであると感じた。
敢えてそうしていることに何らかの意図はあれど、そのデザイン自体には、ほとんど意図などないのではないか。

アルバムを聴いたファーストインプレッションは、”格好良い”。

ジャケットにも現れているとおり、至ってシンプルな作品である。
前作と同じく歌詞の封入はなく(国内盤も同じであり、対訳も含まなれていない)、ジャケットとCDの他、バンドメンバー5人のシルエットが写された紙が入っているのみ。ジャケットの質感も、簡素なものである。
アルバムプロモーションが行われていないことや、バンド自身が作品について全くと言っていいほど何も語っていないところから考えても、やはり至ってシンプルな作品である。
今回の作品の特徴は、この、極めて純粋に、音楽のみが表現されているところにあると思う。

音楽を聴いてみると、世間一般のストロークスのイメージである1st〜3rdの感じではない。
しかし、至ってシンプルに曲だけを聴いてみるとどうであろう。とても格好良いのである。

各曲ごとのレビューは別の機会に譲るとして、アルバム全体の印象を総括すると、”なかなか侮れない作品を出してきたな”というところである。

名前の売れたバンドの出す作品はどれも、バンド自身の名前によって良い方向に評価されがちであり、純粋にその音楽だけを見たときに、同じような評価が得られるのだろうか…などと、最近そんなことを考えていたのだが、そういった観点からこの作品を考えてみると、The Strokesというバンドが、バンドとしてのアイデンティティを解体し、初期の頃の曲作りというものを捨て、至って自然なかたちで、メンバー5人で作品を作り上げようと努めていることがよく分かる。

この作品は、The Strokesというバンドの一つの転機となるであろう。
そう感じさせるアルバムである。

2013/03/20

ストロークスらしさとは Comedown Machine/The Strokes

アルバムレビューはこちら:Comedown Machine/The Strokes
http://altblg.blogspot.jp/2013/04/comedown-machinethe-strokes.html


27日に発売予定のThe Strokesのニューアルバム:Comedown Machineであるが、発売に先駆けて、Pitchforkにて全曲フル試聴が開始されている。

http://pitchfork.com/advance/48-comedown-machine/

先行公開されていた2曲(#2:All The Time、#3::One Way Trigger)はどちらも既存のストロークスらしさを感じさせる曲であり、アルバム全体の傾向もその域を出ないものであろうと思っていたのだが、それは大きな間違いであった。このアルバム、どの曲も曲者ばかりである。問題作と言っても良いかもしれない。
例えば#1:Tap Outなんて、どこかで流れているのを耳にしたところで、ストロークスであることに気がつかないかもしれない(試聴していて、”これ、本当にストロークス?”と確認したくらい)。


既存のストロークスらしさを最も感じさせる曲は、先行リリースされている#2:All The Timeである。
下記URLにてPVが視聴できる。

https://www.youtube.com/watch?v=TJC8zeu3MHk

この曲は、前作:Anglesにおける#2:Under Cover Of Darknessと同様の位置づけの曲だと思う(Under Cover Of Darknessも、前作の中においては”最も既存の曲らしい曲”であった)。
PVは、過去のライブの映像や他の曲のPV撮影風景、バンドの姿を写したものである。
"新作のリリースに合わせて、プロモーション活動やツアー等は行わない"と事前に公言していたため、あえてPVを撮影するために何かをするということがなかったのだろうが、こういう、ある意味”バンドの過去を総括する”的な映像を見ると、どうも、一区切りついたという印象を受けてしまう。
深読みし過ぎだろうか。


ストロークスは一時期(具体的には2006年リリースの3rdアルバム:First Impressions Of Earthのツアーが終了した2007年から、2011年リリースの4thアルバム:Anglesを製作するまでの期間)、バンドとして迷走しているように見えた。
ボーカル:Julian Casablancasのソロ活動に代表されるように、それぞれのメンバーが個々の活動に力を注ぎ、バンドとしてはまるで空中分解したかのような状態であったのだ。

世間的に圧倒的な支持を得ているストロークスの1st、2ndアルバムは、全ての曲がジュリアンによって作られていた(作詞・作曲ともに)。
3rdアルバムでは一部の曲に他メンバーの名がクレジットされるようになったが、それでもやはり全ての曲は、1st、2ndと同様、ジュリアンによって作られたものであった。

このような状態をバンドにもたらした原因は、各メンバーのバンド活動への貢献度合いに著しく差が出ていたことによる、メンバー間の軋轢である。
最も重い役割を担っており、同時に最も大きいフラストレーションを感じていたのは、いうまでもなくジュリアンである。

3rdアルバムのリリース後、5年という長期間のブランクを経てようやくリリースに至った4thアルバムは、ジュリアンと他メンバーとの間で、E-mailによるやり取りを行いながら作られた作品であるそうだ(ジュリアン曰く、自らが曲作りにおいて主導権を握り、他メンバーがそれに追随する既存の方法から脱却し、他メンバーが積極的に曲作りに関わるようにするため、あえてそうしていたとのこと)。
ギターのNick Valensiはその手法に苦言を呈しており、もう一人のギターであるAlbert Hammond Jr.は当時付き合っていた彼女と破局、ドラッグ中毒になっており、バンドの状態は過去最悪のものであった。

そんな状況を経てリリースされた4thアルバムは、ストロークスの最大の持ち味である(少なくとも世間を騒がしたストロークスが持っていた)シンプルでストイックな音が影を潜め、エフェクトのかかったボーカル、キーボード、そして多様な電子音を駆使した、それまでの作品とはまるで違ったテイストのものであった。
世間の評価は割れたが、概ね芳しくないものであったように思う。


解体しつつあったバンドがその製作過程を改め、各メンバーの個性を反映しようと努めた初めてのアルバムである前作に続く本作は、前作以上にその傾向が強くなっている。
日本のメディアを見る限り、”名作!”という声が多いようである。
反面、海外メディアではその評価が割れている(総じて、あまり良くないように思う)。

個人的には、新たな音楽性を開拓している点と、空中分解していたバンドが再度結束しアルバムを作り上げたという点を評価をしたいが、2000年代初頭、世界的にその人気が下火であったロックンロールに復権をもたらしたとされる、まさにその当時の”ストロークスらしさ”はもはやここにはない。
多くのファンが期待しているであろうストロークスらしさを再度、表現するためには、以前のようにジュリアンが主導して曲を作る他はないだろう。しかし、それは、ジュリアン曰く”公平でない”し、今となってはストロークスのやり方ではない。
以前のストロークスらしい作品を作ることは決して前進ではないだろうし、彼ら自身がそういった方法を選ぶことはないだろう。

彼らが今後、どういった方向に進むのかは分からない。
一度、行けるところまで行ってしまった上で、再度元の手法に回帰するような気もする。一方、このまま進み続け、バンドが本当に分解してしまうような気もする。
果たして、バンドは新たなストロークスらしさを獲得し、自らを次の次元へと押し上げることができるのであろうか。
前作と傾向の似た本作であるが、一番の違いは、バンドメンバーが同じ場所で曲作りを行ったことである。前作では他メンバーと距離を置いていたというジュリアンが同じスタジオで製作に関わっていたという状況から考えると、バンドの状態は改善しているといえるかもしれない。


ストロークスの解散はあるか。

他のバンドを引き合いに出すと、Oasisは唐突に解散してしまったが、ノエルとリアムは兄弟仲が悪いところが”キャラ”であり、世間的にも受け入れられていたから、彼らの決裂は文脈的にも比較的納得のいくものであった。
それに比べ、ストロークスはどうだろう。これは個人的な印象でしかないが、彼らは比較的ビジネスライクな判断を下すように思える。
ロックバンドにロックらしさを求める時代でないのは分かっているが、バンドメンバーのすれ違いによって、唐突に解散でもされてしまうと、どうしても納得などできないように思う。


ジュリアンの主導によって作られていた1st、2nd、3rd、そして各メンバーの参加によって作られた4th、5th。
バンドの変化は、起こるべくして起こっているようである。
彼らが今、追い求めているストロークスらしさとは、一体何であろうか。今後、バンドが選択する方向によって、それが明らかになる。

2013/03/04

バンドの新たな一面:今を生きて/Asian Kung-fu Generation



アジカンのニューシングル「今を生きて」が2月20日にリリースされた。
映画「横道世之介」のタイアップということでYoutubeで先行公開されたPVの一部を見ていたのだが、気がついたらリリースされていて、それをiTunesストアにて知った(レコメンドされていたところを発見した)。

昔はアジカンの新曲といったら、初オンエアとなるラジオをMDに録音して、リリース前から何度も繰り返し聴くくらいであったが、今や新曲のリリース日すら、"気がついたら訪れている"というほどである。

とまあ、アルバム:ランドマークのリリース後、しばらく注目をしていなかったアジカンではあるが、iTunesストアで買えるということで購入。アジカンの曲をiTunesで購入するのは、昨年秋に取り扱いが始まって以来、初めてである。

手軽にレビューを読み、気になればiPhoneから購入し、すぐにダウンロードされるという仕組みは非常にスムーズ。特に、試聴しながらすぐにレビューを読めるという点が良い(ジョブズが亡くなって以降、apple製品のUIの凝り具合がいまいち好きになれないのだが、iTunesストアで試聴しながら他のページに遷移できるようになった点は評価している。不安定だけれども)。

この手の曲にしては意外であったのだが、レビューの評判がすこぶる良い。
映画のイメージにマッチしているからだろうか。

テンポの早くない曲、格好いいというよりも味のある曲で評価されるようになった点は、バンドの成長であろう。どこかで、”良い意味でoasisのようになった”と書いている人を見たが、あながち言い過ぎでもないと思う(ナローなペースの良曲:迷子犬と雨のビートもoasisのようであったが)。
ドラムの音(太鼓のような重めの音でリズムを刻む)で始まり、静かな鈴の音が流れ出す出だしが好きである。

しかし何と言っても、今回の収穫はc/w:ケモノノケモノである。
ここまでピアノを全面に押し出した曲は、バンドにとっての新たな試みである(曲として斬新というわけではないが、アジカンにしてこの曲というのが新しい)。
しかも、良い。
ピアノの音は、その初めての試みが少し照れくさいかのように、右へ左へ、無造作に駆けまわる。
ケモノとは言っても、決して”獣”ではなく、どことなくチャーミングなイメージの曲。

こういう、肩の力を入れない、ライトな良曲を生み出せるようになったのは、バンドの明らかな成長であると思う。
バンドの新たな一面を見せる新作である。