アルバムレビューはこちら:Comedown Machine/The Strokes
http://altblg.blogspot.jp/2013/04/comedown-machinethe-strokes.html
27日に発売予定のThe Strokesのニューアルバム:Comedown Machineであるが、発売に先駆けて、Pitchforkにて全曲フル試聴が開始されている。
http://pitchfork.com/advance/48-comedown-machine/
先行公開されていた2曲(#2:All The Time、#3::One Way Trigger)はどちらも既存のストロークスらしさを感じさせる曲であり、アルバム全体の傾向もその域を出ないものであろうと思っていたのだが、それは大きな間違いであった。このアルバム、どの曲も曲者ばかりである。問題作と言っても良いかもしれない。
例えば#1:Tap Outなんて、どこかで流れているのを耳にしたところで、ストロークスであることに気がつかないかもしれない(試聴していて、”これ、本当にストロークス?”と確認したくらい)。
既存のストロークスらしさを最も感じさせる曲は、先行リリースされている#2:All The Timeである。
下記URLにてPVが視聴できる。
https://www.youtube.com/watch?v=TJC8zeu3MHk
この曲は、前作:Anglesにおける#2:Under Cover Of Darknessと同様の位置づけの曲だと思う(Under Cover Of Darknessも、前作の中においては”最も既存の曲らしい曲”であった)。
PVは、過去のライブの映像や他の曲のPV撮影風景、バンドの姿を写したものである。
"新作のリリースに合わせて、プロモーション活動やツアー等は行わない"と事前に公言していたため、あえてPVを撮影するために何かをするということがなかったのだろうが、こういう、ある意味”バンドの過去を総括する”的な映像を見ると、どうも、一区切りついたという印象を受けてしまう。
深読みし過ぎだろうか。
ストロークスは一時期(具体的には2006年リリースの3rdアルバム:First Impressions Of Earthのツアーが終了した2007年から、2011年リリースの4thアルバム:Anglesを製作するまでの期間)、バンドとして迷走しているように見えた。
ボーカル:Julian Casablancasのソロ活動に代表されるように、それぞれのメンバーが個々の活動に力を注ぎ、バンドとしてはまるで空中分解したかのような状態であったのだ。
世間的に圧倒的な支持を得ているストロークスの1st、2ndアルバムは、全ての曲がジュリアンによって作られていた(作詞・作曲ともに)。
3rdアルバムでは一部の曲に他メンバーの名がクレジットされるようになったが、それでもやはり全ての曲は、1st、2ndと同様、ジュリアンによって作られたものであった。
このような状態をバンドにもたらした原因は、各メンバーのバンド活動への貢献度合いに著しく差が出ていたことによる、メンバー間の軋轢である。
最も重い役割を担っており、同時に最も大きいフラストレーションを感じていたのは、いうまでもなくジュリアンである。
3rdアルバムのリリース後、5年という長期間のブランクを経てようやくリリースに至った4thアルバムは、ジュリアンと他メンバーとの間で、E-mailによるやり取りを行いながら作られた作品であるそうだ(ジュリアン曰く、自らが曲作りにおいて主導権を握り、他メンバーがそれに追随する既存の方法から脱却し、他メンバーが積極的に曲作りに関わるようにするため、あえてそうしていたとのこと)。
ギターのNick Valensiはその手法に苦言を呈しており、もう一人のギターであるAlbert Hammond Jr.は当時付き合っていた彼女と破局、ドラッグ中毒になっており、バンドの状態は過去最悪のものであった。
そんな状況を経てリリースされた4thアルバムは、ストロークスの最大の持ち味である(少なくとも世間を騒がしたストロークスが持っていた)シンプルでストイックな音が影を潜め、エフェクトのかかったボーカル、キーボード、そして多様な電子音を駆使した、それまでの作品とはまるで違ったテイストのものであった。
世間の評価は割れたが、概ね芳しくないものであったように思う。
解体しつつあったバンドがその製作過程を改め、各メンバーの個性を反映しようと努めた初めてのアルバムである前作に続く本作は、前作以上にその傾向が強くなっている。
日本のメディアを見る限り、”名作!”という声が多いようである。
反面、海外メディアではその評価が割れている(総じて、あまり良くないように思う)。
個人的には、新たな音楽性を開拓している点と、空中分解していたバンドが再度結束しアルバムを作り上げたという点を評価をしたいが、2000年代初頭、世界的にその人気が下火であったロックンロールに復権をもたらしたとされる、まさにその当時の”ストロークスらしさ”はもはやここにはない。
多くのファンが期待しているであろうストロークスらしさを再度、表現するためには、以前のようにジュリアンが主導して曲を作る他はないだろう。しかし、それは、ジュリアン曰く”公平でない”し、今となってはストロークスのやり方ではない。
以前のストロークスらしい作品を作ることは決して前進ではないだろうし、彼ら自身がそういった方法を選ぶことはないだろう。
彼らが今後、どういった方向に進むのかは分からない。
一度、行けるところまで行ってしまった上で、再度元の手法に回帰するような気もする。一方、このまま進み続け、バンドが本当に分解してしまうような気もする。
果たして、バンドは新たなストロークスらしさを獲得し、自らを次の次元へと押し上げることができるのであろうか。
前作と傾向の似た本作であるが、一番の違いは、バンドメンバーが同じ場所で曲作りを行ったことである。前作では他メンバーと距離を置いていたというジュリアンが同じスタジオで製作に関わっていたという状況から考えると、バンドの状態は改善しているといえるかもしれない。
ストロークスの解散はあるか。
他のバンドを引き合いに出すと、Oasisは唐突に解散してしまったが、ノエルとリアムは兄弟仲が悪いところが”キャラ”であり、世間的にも受け入れられていたから、彼らの決裂は文脈的にも比較的納得のいくものであった。
それに比べ、ストロークスはどうだろう。これは個人的な印象でしかないが、彼らは比較的ビジネスライクな判断を下すように思える。
ロックバンドにロックらしさを求める時代でないのは分かっているが、バンドメンバーのすれ違いによって、唐突に解散でもされてしまうと、どうしても納得などできないように思う。
ジュリアンの主導によって作られていた1st、2nd、3rd、そして各メンバーの参加によって作られた4th、5th。
バンドの変化は、起こるべくして起こっているようである。
彼らが今、追い求めているストロークスらしさとは、一体何であろうか。今後、バンドが選択する方向によって、それが明らかになる。